会社情報
日本サイロの役割
日本サイロ用途別シェア
日本サイロヒストリー
-
1967年(昭和42年)
5万トン級の大型穀物専用船が接岸可能な、穀物専用埠頭と大型サイロを整えた東日本におけるグレーンターミナルとして発足
-
1971年(昭和46年)
飼料生産は全国的に著しい成長を遂げつつあり、丸紅飼料・大洋飼料の隣接工場をはじめとし、千葉地区後背地に進出した飼料工場や、東京湾周辺需要家、更には、東北・北海道の地方港へ内航船による海上輸送を行ない、ハブ機能として発展。
-
1976年(昭和51年)
操業当初(昭和43年)は、23万トン程度であった当社取扱数量は、1976年(昭和51年)には、100万屯を突破。数量増加に伴い荷役能力、サイロ収容能力も増強を進め、日本最大級のグレーンターミナルに発展。
-
1980年〜(昭和55年)
1980年代に入り日本国内で、飼料の南北の二極化が顕著となり、新しい飼料基地の構想が始まり、青森鹿島などの飼料基地の建設開始
-
1990年〜(平成2年)
1990年代に入ると、全国的に飼料生産は、合理化が求められ、新規飼料基地、鹿島・九州(志布志)の巨大化。関東エリアの飼料工場は、新天地へ移転一方で、食品・製粉工場などが、都市に近い臨海エリアへ進出。
当社も飼料原料を維持しつつ、食品原料、油糧原料、食料穀物などの取扱いへと変化を遂げた。 -
2002年〜(平成14年)
日本国内では、2002年に「バイオマス・ニッポン総合戦略」が閣議決定されて以降、バイオマス発電の導入が各地で積極的に始まる。
-
2020年〜(令和2年)
2020年には千葉県市原市にバイオマス発電事業所が開設され、当社においてもバイオマス発電の原料となる木質ペレットの取扱いが開始された。